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【音楽の環境で育つ】
親戚にピアノの先生が多かったため、早く自分もピアノが弾きたかった。
そしてやっと年長の時にピアノをい始めた。
両親も音楽好きでピアノを弾いており、兄もピアノとバイオリンを習っていた。母は台所仕事をしながらよく歌っていた。
始めに習った先生は優しい先生だが親の仕事の都合ですぐに横浜から札幌に引っ越す。
次に習った先生は本職のピアノの先生ではなかったため、発表会もなく、
今思うと基礎もちゃんと指導されていなかった。
ただ、ピアノが嫌いになるような教え方ではなかったので続けられた。
5年生の時に引っ越しが続き、ピアノに2年間のブランクができた。
中学1年で近所のしっかりとした実績のあるピアノの先生につく。
この先生のもとで基礎をきちんと叩き込まれる。
長年、読譜・脱力・指使い・楽典などがいい加減だったため、修正に子供ながら苦労する。
この時、導入期の指導がどれだけ大切か、身をもって知らされた。
中学2年の時に学校の新任の音楽の先生と仲良くなり、音楽の楽しさを知る。
自分も音楽をもっと学びたいと進路は音楽の道、と考え始める。
この時に親に相談するが、1年待てと言われる。
1年後も気持ちは変わらず中学3年の4月に再度親へ相談。
その後すぐに自宅から通えるということで、両親が東邦音高の先生を大学に紹介してもらい
受験体制に入いる。
その日からピアノを始め、聴音・ソルフェージュ・声楽・楽典を4人の先生のもとで猛練習。
【音高で引け目を感じた時代】
音楽大学付属高校。
入学式、在校生の歌声がとても澄んでいて素晴らしく感動する。
が、高校生活では同級生は皆バンバン弾けて引け目を感じていた。
クラス40人中、2/3は大学進学組。
残りの1/ 3 は外部か短大進学組。
当時は付属高校ではなかったので、一般受験生と一緒に受験。
そのおかげで受験直前は猛練習。
本番もそつなく弾けたのに受験発表の当日、色々な想いが溢れてきた。
『もしここで落ちたら、親に顔向けできない。』
『ここまで指導してくれた先生に申し訳ない。』
そんなことを思ったら涙が止まらなく溢れ、授業中にもかかわらず泣いてしまった。
【ドキドキの合格発表】
クラスのみんなに励まされ、発表を見に行く途中もドキドキが止まらなかった。
そして、発表。
自分の名前を見つけた時は、安堵と喜びで飛び上がってしまった。
ピアノ科 合格!
すぐに親へ電話しようと思ったが、茶目っ気が出て
親を焦らしてやろうとわざと電話しなかった。
親は連絡がなかったのでダメだったのではないかと落胆。
返って怒られてしまったが、みんなとても喜んでくれた。
【もっと練習しなくちゃ】
音高時代よりも更に、周りがすごくて引け目を感じる。
「もっと練習しなくちゃ!」
そんな思いでずっと過ごした4年間。
舞踏研究会(社交ダンス)に入るも、ピアノの練習もしなくちゃ、部活もやらなくちゃ、バイトもしなくちゃと、楽しいながらも余裕がなくなり、要領も良くなく不器用で毎回のレッスンがその場しのぎになるため一年で退部。
その後の気持ちは以前から関心があった心理学へ。
心理学の教授が開いていた講座へ入り、カウンセリングの勉強を始める。
そのカリュキュラムとして、当時はまだ珍しい障害を持った子供たちの音楽療法に携わる。
と共に新田次郎の小説に感銘を受け、登山も始め沢登り、岩登り、雪山にのめり込んでいく。
一見音楽とは関連がない登山。が、登りながらいつも心の中では音楽が流れ、励まされていた。
【疑問を感じたピアノ講師 一般企業から自宅でピアノ教室へ】
大学在学中より、楽器店及び自宅で10人ほどピアノを教える。
こんな学生時代だったからピアノが好きかどうかも分からない。
当然の事ながら、このままでいいのかと大学を出てバイトの延長のようなピアノ講師となることに疑問を感じた。
それに加え、学校出たばかりで世間を知らない状態で「先生」と呼ばれることに疑問を感じ、更にピアノだけの狭い世界への反発と社会をもっと知りたい見たいという好奇心もあり一般企業へ就職。
それでも始めは週末だけ自宅でピアノを教えていたが、いつの間にかそれもなくなった。
しばらく音楽から離れ、趣味の登山に浸っていた。
しかし、離れていたその時間が改めて音楽の素晴らしさ、そして、それが自分に必要なものだと教えてくれた。
やっぱり音楽っていい、ピアノっていい。素晴らしい。
ピアノで表現すること、歌うこと、音色の違い、ピアノは生きている。
そして、それを伝えたい。
5年後、結婚退職。
1992年より鶴ヶ島にて音楽教室主宰。
一人二人の生徒さんからスタート。
同時期、音楽仲間と演奏ボランティアグループ「マミーズ」結成。
県内の学校・施設などで年間2〜3回の演奏活動を始める。
発表会も一年半に一回、坂戸市文化施設オルモ ・川越西文化会館(メルト)などで開く。
学生時代から述べ500人余りの生徒を育てた。
プレピアノ・バスティン・ピアノランド・ミュージックキー他多数、いろんなセミナーや講座に参加し教材を学び指導法などを学ぶ。
ピアノdeクボタメソッド認定講師。
自身の勉強と共に、毎年生徒をコンクールへ。
我が子のPTAに携わった事をきっかけに、中学校の相談員を7年間勤める。
再び二束の草鞋を履いた期間は、悩み苦しんでいる子供達や保護者に耳を傾け支援を続けた貴重な時間となった。
発達心理学とカウンセリングを再び学ぶ。
レッスンでもカウンセリングを基としたレッスンを行う。
同時に多機能型施設にて障がい児を対象とした音楽指導を行う。
【現在】
人見知りのお子さんも安心して通っていただけるように
生徒さんと同じ目線でその子が安心できることは何かな?と気を配れる。
発達心理の観点で生徒一人ひとりに接していく。
できない子の気持ちを理解する。
共感してどうしてできないのか?を探り、一緒に考えていこうという姿勢が経験から身についた。
【生徒の実績】
埼玉ピアノコンクール 本選出場 多数
遺跡の森コンクール 奨励賞
栗原楽器ピアノコンクール 銀賞
尚美学園声楽科 特待生合格
鶴ヶ島市及び周辺学校の合唱コンクールの伴奏者を歴代務めた
【資格等】
(社)ピアノ指導者協会指導者会員
ピアノdeクボタメソッド認定講師
アルフレッドライブラリー認定取得
音楽教室の指導と伴に、近隣中学校及び適用指導教室で相談員としての経験あり
鶴ヶ島市中学校PTA会長二期及び鶴ヶ島市PTA連合会長就任
臨床発達心理士申請単位取得
中学・高校免許取得
埼玉県家庭教育アドバイザー
ファイナンシャルプランナー取得
宅地建物取引主任者取得
鶴ヶ島市諸審議会等の委員就任歴あり
【娘のピアノサポート】
年中の長女のピアノレッスンサポート始める。
小学校より
遺跡の森コンクール 遺跡の森賞
埼玉ピアノコンクール A,B,C部門入賞
ピティナC,D,級 地区本選優良賞
ショパンコンクールin Asia 本選 他
東京音大附属高校ピアノ科合格
東京音大ピアノ科合格
小学校の音楽専科の教員・音楽制作会社を経て特別支援学校教員。